ウィル・スミスさんがアカデミー賞でクリス・ロックさんにビンタした件ですが、事態は徐々に異なる方向に向かっているようです。
ウィル・スミスさんは映画芸術科学アカデミーの会員を辞任すると発表し、アカデミー賞側もウィル・スミスさんへの処分を検討している現状の中、クリス・ロックさんへの処分、懲罰的な話は一切出てきていません。
これは、なぜなのか。
探ってみると、色々な大人の事情があるようです。
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クリス・ロックのジョークが処分されない裏の理由
ビンタをしたウィル・スミスさんが処分されて、クリス・ロックさんはお咎めなし、処分なしということになったとしたら、その理由はどういうものなのか。
事情を推察するに、わかりやすくイケナイことをしてしまったウィル・スミスさんに対し、クリス・ロックさんのジョークは、過去のアカデミー賞やアメリカのエンタメ業界の中で許容されてきた範疇の表現だったからではないでしょうか。
今は時代が変わりましたが、今回の、クリス・ロックさんがジェイダ・ピンケット=スミスさんの髪をネタにしたジョークは20年前であれば全く問題にならなかったかもしれません。
[the_ad id=’580′]また、ウィル・スミスさんのビンタも、『まあまあ落ち着いて…』という感じでその場で収めて、次の日には普通に映画業界は通常運転だったりして。
大島渚さんと野坂昭如さんが昔、似たような騒動を起こしていましたけど、これも今だったら大問題でしょうねえ。
というか、大問題になるかどうかは、その出来事を見た、知った人が多いか少ないかで決まるような気もします。アカデミー賞が全世界で報じられるイベントではなかったら、ここまでの話になっていないでしょう。ホームパーティーで喧嘩が起きても、処分なんて生まれませんし。
これも、インターネットの普及やコンプライアンスの遵守が厳しくなった今だから問題になっているという感じですね。
で、そうなると、何がよくて何がダメなのかの線引きがはっきり作れない状況でもあり、今回のクリス・ロックのこれがダメなら、こないだのアレはどうなんだ、といったことにもなりますし、探られたくない腹を探られるのを嫌う人達も大勢いるのでは、と。
もしクリス・ロックさんの今回のジョークを処分してしまったら、今後も同じレベルの際どいジョークを罰しなければならなくなるし、過去のいろんな人のいろんな発言も検証しなければならなくなる、とか。
クリス・ロックさんの処分を積極的に進めようとする人が表に出てこないのは、そういう事情があるかもしれません。
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クリス・ロックを起用したアカデミー賞側の裏事情は?
それから、クリス・ロックさんをプレゼンターに起用したアカデミー賞側も、苦しい立場、というか後ろめたい部分があるのではと私は推察しました。
クリス・ロックさんは際どいジョークがウリであり、それが持ち味です。なので、それを期待して迎え入れているということはあったと思います。
いや、事前にどの程度『攻めた』内容にするかを打ち合わせしていた可能性も十分あります。
だとしたら、クリス・ロックさんを処分してしまったら『おいおい、そういう話だっただろ』とクリス・ロックさんに噛みつかれる懸念も出てきます。
これは、RIZIN33でシバターさんが八百長疑惑を巻き起こした時にRIZINの榊原CEOが歯切れの悪いコメントを残し、シバターさんに処分を下さなかった件と似ているように思えます。
そういうシバターを呼んだのは誰なんだ、となってましたから。
なので、アカデミー賞としても、過去のあれこれも含めて探られたくない腹があるのかな、と。
もしくは、それぐらいいいじゃないか、という価値観が上層部にあるのか、とか。
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最初はウィル・スミスに寛容だった日本人
ここで興味深いのは、日本では報道され始めた当初は、クリス・ロックさんは完全に悪くてウィル・スミスさんを英雄視するコメントが圧倒的に多かったことです。
以下、ヤフコメの抜粋です。
あれほどの酷い侮辱にビンタ1発で済ませた事、スピーチの際の涙、心の中の葛藤が垣間見えて胸が詰まりました。ただ家族の名誉の為に立ち上がり行動した事は間違ってなかったと思います。
暴力は確かに良くないけど、人の外見をジョークで笑いを取る方が良く思わない、私はウィルのした事は悪かったとは思わない、私は何でジョークにもならない司会者を選んだ主催者に問題あると思います。
人として何が正解か解らないが、個人としてはウィル・スミスさんの取った行動は決して間違った事とは思えない。
クリス・ロックとの一件を払拭するような感動的な受賞スピーチで、彼が人格者であり、何故あのような行動をしたのかが解る内容でした。
愛する人を(たとえ冗談だとしても)侮辱されれば、誰だって怒りが湧いて当然。俳優などの肩書きに関係なく、ひとりの男性として率直にカッコ良いなと思いました。
あのアカデミーの会場で、周囲も笑いに包まれている中、家族を侮辱されたことへ怒りを感じたとしても、すぐ行動に移せるかと言われると、絶対できない。その後ちゃんとスピーチのときに謝罪できるのも、さすがだ。人として、父として、夫として、かっこいい。
道義的に正しい怒りだ。筋が通っている。
司会者がウィル・スミスの家族を侮辱しても「ジョークなんだからビンタするのはやりすぎ」とか言う連中の気が知れない。
今回のスミス氏の行動は素晴らしいと思います。暴力はダメと言いますが、グーではなくパーでビンタですし
などなどなど、3/28の第一報ではウィル・スミスさんを称賛する声が圧倒的に多かったのです。
[the_ad id=’580′]それが日が経つにつれて形勢が逆転し、ウィル・スミスさんが完全に悪いということに。
その上で、クリス・ロックさんにも処分を!というように、世間の評価が二転三転しているんですよ、実は。
4/2現在で『ひとりの男性として率直にカッコ良い』なんてSNSで発信したらめちゃくちゃ叩かれそうですけど、報道直後はそうじゃなかった。
この流れに、人類のこれからの課題を見た気がしますねえ。
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注目されるクリス・ロックの過去問題発言
クリス・ロックさんは今回の髪型ネタだけでなく、過去のアカデミー賞でも際どいジョークをかましています。
2016年のアカデミー賞で司会を務めた時は、
ロックさんは授賞式で、アカデミー賞の集計は会計大手プライスウォーターハウスクーパーズが担っていると語り、ブリーフケースを持ちタキシード姿で登場したアジア系の子ども3人を、同社の「最も熱心で正確で働き者の担当者」として紹介した。
引用元:CNN
ということがありました。
意見何の問題もないような発言ですが、これが『アジア系は頭が良く勤勉でよく働くというステレオタイプを助長した冗談』だと問題視する人が出てきて、アジア系の俳優や監督達が抗議したのです。
ハリウッド映画の中では、屈強な主人公が悪者を簡単にやっつけたり、それこそ際どいジョークの応酬で観る者を楽しませたりということを日常的にやっているのですが、その作品の良し悪しを見極める場であるアカデミー賞の場では、そんな世界を再現してはならない、ということで、矛盾とは言いませんがジレンマがあるんだろうな、とも思います。
そう考えると、クエンティン・タランティーノの作品なんかはよく問題にならないな…と思ってしまいましたね。。
クリス・ロックさんは1984年頃からスタンダップ・コメディのキャリアをスタートさせた人物です。壇上で確実に聴衆を沸かせるために、刺激的な表現も多々使ってきたことでしょう。そして、時代もそれを許していた、と。
[the_ad id=’580′]そんな歴史を持つクリス・ロックさんの毒の部分を価値に感じて起用する人は今でもいて、でも時代に合わせて上手くやってほしい、という難易度の高い仕事を求めているんだと思います。
もとよりスタンダップ・コメディは、
題材はユーモラスな物語やジョーク、人間観察、下ネタ、政治、宗教、人種差別など幅広く、演者が皮肉交じりにしゃべるのが特徴である。伝統的なジョークの形態と異なり、時として観客を不快にさせることがあるという点で「オルタナティヴコメディ」の一つとも言われる。
引用元:https
という要素がありますからね。
クリス・ロックさんを起用すること自体が、難易度の高い行為なのかもしれません。