最近、長州力さんと武藤敬司さんが楽しく遊んでいる映像をテレビで観ることがあります。
武藤さんは相変わらずな雰囲気でいまだ少年っぽい感じですけど、とにかく印象深いのが、長州力さんです。
長州さん、昔と今とで結構違うんですよ!
今日はそんな話題です。
[the_ad id=”243″]
『キレてないですよ』のおじさんは、若い頃とんでもないプロレスラーだった!
長州力さんと言えば、近年ではテレビタレントとしての彼を知っているという人ばかりかもしれませんね。
長州小力さんがモノマネをしている、『キレてないですよ』のおじさん。みたいな。
私は長州小力さんとくりぃむしちゅーの有田さん扮する長州有力のコントが大好きですね(笑)。真似しやすいんですかね、長州って。
数年前から長州さんがテレビに出だした時、私も含め往年の長州ファンは、『長州も随分と丸くなったな、変わったもんだな』と、少々寂しい思いをさせられたものです。
だって、試合後の記者会見でも寡黙な感じで、気さくに話してくれるようなレスラーじゃなかったですから。それがまたかっこよかったんですね。
[the_ad id=’580′]長州力さんの本名は吉田光雄と認識している人も多いと思いますが、本当の本名は、郭光雄。戦中、戦後に多くの韓国人が移住していた山口県の出身なんですね。
なので、専修大学時代のミュンヘンオリンピック出場も、韓国代表として出ています。これは今の時代だったら難しかったかもしれませんね。当時は、そういう便宜を図るのも比較的やりやすかったんでしょう。
吉田光雄少年は日本語しか喋れないため、韓国代表の選手達の中では完全アウェーだったみたいですね。試合もあっさりと負けて、でも、それもあっさりと受け入れていたというから、後の長州力の片鱗が見えますね。何事にも動じない佇まいというか。
長州力さんの魅力はまず、あの、影のある佇まいですね。出自に関しては、新日本に入門した北尾光司さんとの間でトラブルもありましたし、アントニオ猪木さんが北朝鮮で開催した平和の祭典の時は、次に韓国に入国する際に何か起きてはいけないからと、不参加でしたね。
そして、藤波辰爾さんの後ろで常に脇役的な位置づけに甘んじた時期もあって、とにかく、影があるんですよ。
長州力さんのアノ寡黙さも相まって、何とも言えないオーラが出てきてるんですよね。
元祖管理職レスラー・長州力の魅力も格別です
一方、新日本時代には長らく、『現場監督』としての手腕を振るっていましたよね。
道場の運営や新弟子の育成は子飼いの馳浩さんに仕切らせて、興行においてはマッチメイクから大会の運営全般について、全てを統括していたという。
当時の東京ドーム大会は、長州さんの才覚によって成功してきたと言っても過言ではありません。猪木さんの北朝鮮プランで莫大なカネを使ってしまった新日本プロレスが傾きそうになった時、ドーム大会での復活に貢献したのは長州さんですから。
そのような、会社の中での管理職的役割を完璧にこなしていた長州力、という側面も、魅力なんですよね。そして、実力のついたレスラーは公平に取り立ててあげるという態度が、リーダーとしての信頼を集めていったわけです。
近年のタレント化によって知名度を一気に広げていったということで、もう、長州さんの幅の広さ、懐の深さは、私たち往年のファンも、渋々ではありますが、認めざるを得ない感じではあるんですねえ。
ただ、この背景にはWJプロレスの放漫経営による失敗、という金銭的な事情もありますからね。。愛弟子のはずだった佐々木健介さんとも、金銭トラブルで袂を別つことになりましたし。
まあ、そのおかげで(?)今でも彼のファイトを観ることが出来るのは、ファンにとっては嬉しいことでもあるわけですが。
思うに、長州さんほどいくつものカラーを時代ごとに見せていったレスラーはいないんじゃないかな、というところです。
昭和のマット界ではとにかく寡黙で、暗い戦士だったわけですよ、若い頃の長州力さんは。
[the_ad id=”243″]
世間との迎合…これが長州イズムなのか!?
その後、現場監督になったり平成維新軍と抗争を繰り広げたり、長州小力さんにものまねされたり、と、時代のニーズにその都度合わせて柔軟に活動していった印象もありますね。
これが、不器用なレスラーだったら1つの色しか出すことはできませんし、スタンスの変更をそうそう簡単には実行できないでしょう。
【特集】須崎優衣とコーチ・吉村祥子の絆!名指導者は東京五輪メダリストをどう育てたか?
長州さんがこんなに大衆寄りになるなんて、思ってもみなかったですからね。
これからの時代、長州力さんのように芯はブラさず、ほどよく世間に迎合していくというか、そういう柔らかさのようなものは必要かもしれませんね。
ちなみに、蝶野正洋さんがいうには、長州さん、前田さん、藤波さん、など、大物ベテランレスラーは現役時代から全然人の話を聞かないらしいですね(笑)。
一堂に会すると、全然会話が噛み合わないという。
そういう図太さも、昭和のレスラーの魅力ではありますね。
[the_ad id=”243″]
長州力と武藤敬司の関係は?仲悪かったけど和解しているとか?
長州さんと武藤さん。
現在はこんな感じで和やかです。
テレビでは、『相席食堂』や『1億3000万人のSHOWチャンネル』で共演しており、非常に仲のよい感じですね。
では、若い頃の2人はどうだったかというと、新日本プロレスの現場監督とトップレスラーという関係性で、トータルで見るとまあまあ良好な関係だったんじゃないかと思います。
武藤敬司さんが新日本プロレスに入門したのは1984年。21歳の時です。
しかし、この時は長州力さんは新日本プロレスにいません。ジャパンプロレスという独自の団体を立ち上げて、全日本プロレスのリングに上がっていたからです。
これが、ジャパンプロレスのメンツです!
なので、武藤さんの新弟子時代に長州さんがバシバシ指導して育てたということはありません。
武藤さんの入門から3年ほど経って、長州さんは新日本に外様の扱いではありますが戻ってきます。しかしその頃武藤さんは海外遠征をしていて、まだ長州さんとの接点は殆どありません。
2人が濃厚に関わるようになったのは、長州力さんが現場監督になり、大会をトータルで仕切るようになってからです。
スター選手になった武藤選手が1990年代でさらに輝やいたのは、長州さんのマッチメイクによるところが大きいでしょう。
UWFインターとの対抗戦や闘魂三銃士のブレイクなど、武藤さんの栄光の後ろに、長州さんがいたという感じで。
長州さんはアマレス実績者を重用する傾向にあり、身内のマサ斎藤さんや馳浩さん、馳さんがスカウトした永田裕志さんなどをどんどん売り出していきましたが、武藤さんも柔道での実績があったので、扱いとしてはかなり重用していたとは思います。
また、武藤さんといえば天才的なレスリングセンスで知られており、それは長州さんも高く評価していたのは間違いありません。
長州さんが現場を仕切っていた時期は、例えば道場の合同練習も闘魂三銃士はあまり参加していなかったので、長州さんが武藤さんをコーチするということはとにかくなかったようです。
それが、現在の関係性にも影響していると思いますね。もし長州さんが馳浩さんや佐々木健介さんを育てたように武藤さんをビッシビシやっていたら、今のあのバラエティの感じにはならないでしょう。
にしても、蝶野さんとの絡みを見ると、ほんと、丸くなったなあって思いますね、長州力さんは。
Before
After
ザ・プロレスですねww
武藤さんともイイ関係が築けているのはファンとしては嬉しいことですが、願わくば、佐々木健介さんとの和解も是非お願いしたいです。
長州さんのYouTubeチャンネルに健介さんと北斗晶さんがゲスト出演して、笑顔で語り合う、なんて日がいつか来るといいなあ。