東京五輪、レスリング女子50キロに出場の須崎優衣(すさき ゆい)選手。
今回の、須崎優衣選手のオリンピック快進撃の要素として、吉村祥子コーチの存在がまず挙げられています。
今回は、須崎優衣選手を育ててきた吉村祥子コーチについてです。
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須崎優衣と吉村祥子コーチの出会いはJOCエリートアカデミー
吉村祥子コーチは、日本オリンピック委員会(JOC)が主宰するJOCエリートアカデミーのコーチです。須崎優衣選手は、このJOCエリートアカデミーに中学2年で加入。ここで2人は出会います。
JOCエリートアカデミーとは、
年少の競技者が将来的にオリンピックをはじめとする国際競技大会にて活躍できるよう、一貫して育成するために日本オリンピック委員会(JOC)が設置した組織。有望な小学生・中学生の競技者を発掘し、味の素ナショナルトレーニングセンターを拠点に生活させながら、学校への通学とトレーニングを行うものである
引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/JOCエリートアカデミー
…ということで、五輪メダリスト養成機関なんですね。エリートアカデミーって、ネーミングがそのものズバリですごい!
[the_ad id=’580′]JOCエリートアカデミーキャプテンを務めたレスリング選手、梅林太朗さんが以下の動画で『JOCエリートアカデミー生の1日』を解説しています。
https://www.youtube.com/watch?v=P-T4duImusA
外出できる範囲が限られている、寝る時は携帯電話を寮母さんに預ける、門限は19時、1分でも門限に遅れると1ヶ月外出禁止…というように、それなりの厳しさがあったようですね。
また、土曜の夜に英会話のレッスンがあるというのも、世界で勝負するアスリート達の育成機関らしいです!
JOCエリートアカデミーでの競技者の生活は3〜4人で1室の寮生活で、中高の6年間をここで過ごします。この育成機関時代から、吉村祥子コーチとは二人三脚でやってきたわけですね。
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吉村祥子コーチは、時には遠征先での練習で、現役引退から随分と経っているにも関わらず須崎優衣選手のスパーリングパートナーを務めることもあるんだとか。
カザフスタンで開かれた東京五輪アジア最終予選では、吉村コーチが須崎選手の攻撃を受けて顎を負傷するなんてハプニングも。
まさに、身体を張った二人三脚ですね!
吉村祥子コーチは須崎優衣をどうやって一流レスリング選手に育てたのか?
吉村祥子コーチ自身は、五輪出場経験がありません。
女子レスリングが導入された2004年のアテネ五輪出場を目指していましたが、叶わず。2003年の全日本選手権で48kg級のベスト8を記録したのが、現役最後の実績になります。
すると、自身が果たせなかった夢を教え子である須崎優衣選手に託しているのか、と思ってしまいますが、そこは少々、違った想いで須崎選手への指導にあたっている様子です。
自分の夢を選手に乗せるのはナンセンス。子どもの夢、目標を経験値や知識でサポートするのが仕事
引用元:https://www.asahi.com/articles/ASP873Q0GP7MPTQP00B.html
この、自分のエゴを入れない姿勢が吉村祥子コーチの真骨頂なのかもしれませんね。
試合中に力強い檄を飛ばす吉村コーチも頼もしいです。
須崎優衣選手が靭帯破裂の怪我を負った時期には、
心はけがをしないように。こんな時こそ学ぶこともある
引用元:https://www.asahi.com/articles/ASP873Q0GP7MPTQP00B.html
と言う言葉で励ました吉村コーチ。こんな師匠だからこそ、須崎優衣選手は『コーチに金メダルを獲らせてあげたい』と公言し、燃えています。
色々な指導スタイルがあるとは思いますが、この2人が確かな絆で結ばれているのは、吉村祥子コーチの人徳によるものなのではないかと思えてきます。
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吉村祥子コーチの経歴・プロフィール 実はプロレスラー志望だった!
吉村祥子コーチは現在52歳。
一言で言えば名選手であり、日本レスリング界の大御所です。
歴任した役職は、
(財)日本レスリング協会特定理事
(財)日本レスリング協会強化委員会・強化委員
全日本マスターズ連盟・理事
JOC日本オリンピック委員会専任コーチングディレクター
JOCエリートアカデミーコーチ
女子ナショナルチームコーチ
代々木クラブコーチ
FILA国際レスリング連盟殿堂入り
FILA認定国際コーチングライセンス
と、そうそうたる文字が並びます。
現役時代の有名な試合に、1988年に行われた、あの山本美憂さんとの対戦があります。
なんでも、吉村祥子コーチは最初水球を中学時代にやっていて、本当はプロレスラーになりたかったみたいですね。これも凄い話ですが。
実際、全日本女子プロレスの入門試験を受けたそうなのですが、不合格。なぜ、体格が大きくないと合格しないのか、と憤ったそうな。
今の時代だと小柄の選手もプロレスにはいますが、当時は身体が大きければ大きいほどいいという世界でしたからねえ。アマレスでは44キロ級で活躍した吉村祥子コーチ。その体格を生かせる競技は、やはりアマレスなんですね。
ただ、アテネ五輪を目指した時は伊調千春さんに破れ、その切符を手にすることができませんでした。この時は相当なショックを受けたようです。
そのあと、1週間は何もできませんでした。仕事を休ませてもらい、家族にも友達にも会わず…。あれがバーンアウトという状態なんでしょうね
引用元:http://www.japan-wrestling.org/New05/940.htm
思うに、これらのいくつかの挫折体験が、現在の指導者としての吉村祥子コーチを形成しているようにも思えます。勝ちっぱなしで指導者に進んだ人よりも、俯瞰して育成現場で立ち振る舞えるんじゃないかなと。
また、男性コーチに竹刀でバシバシ鍛えられた時代を通過していることから、女子選手への指導には最大限の配慮をしている吉村コーチ。引退直後、日本ジュニアチームのコーチとして指導者デビューした時期に、以下のようなコメントを残しています。
あの厳しい練習があってこそ今の自分が存在するのですが、今の世代にあの練習をやらせたら、選手がいなくなってしまいますよ
引用元:http://www.japan-wrestling.org/New05/940.htm
この時はまだ、女性コーチが従来の指導方法から脱却するという試みが懐疑的に見られていたのですが、今回の東京五輪での選手達の活躍を見る限り、吉村祥子メソッドは大成功したんじゃないでしょうか。