ずんの飯尾和樹さんといえば20代で芸能界デビューするもブレイクまでに時間がかかったので貧乏に苦しみ、40歳の時には芸人では食えなくてバイトをしていたという苦労人です。
そんな飯尾さんが大事にしている大先輩達の言葉があって、これが感動的なんですね。
今回は飯尾和樹さんが明石家さんまさん、タモリさん、石橋貴明さんから過去に掛けられた言葉について紹介していきたいと思います。
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飯尾和樹 さんまから掛けられた言葉『食えないのは当たり前』
現在52歳の飯尾和樹さんは、18歳の時、高校を出てすぐに劇団に所属します。そこから浅井企画に入ってずんを結成し、しかしすぐにはブレイクできず長い低空飛行をすることになります。
当時、先輩の関根勤さんに連れて行かれた収録現場で見学していたら、そこで明石家さんまさんの仕事を肉眼で見て、そのスピード感に圧倒されたそうです。
そこで挫折感を味わった飯尾さんですが、業界内での評判はむしろ良好で、『飯尾は面白い』『あいつは誰だ』といった声が常にあったといいます。
[the_ad id=’580′]ある時、出演していた舞台『カンコンキンシアター』の公演を観にきたさんまさんが打ち上げに顔を出し、そこで飯尾さんを始めとする出演者達にアドバイスをしてくれるということがありました。
さんまさんは舞台の内容を全部記憶していて、8人の出演者に一人ずつアドバイスをしていったそうです。
その時さんまさんが飯尾さんに出したアドバイスは、『“赤”と言わずに“レッド”にせい』といった感じだったらしいです。
そのアドバイスを基にパフォーマンスを直したところ、お客さんに受けるようになり、飯尾さんはさんまさんに感謝しているというエピソードです。
またある時、さんまさんから
「この世界で食えないのは当たり前やからな。好きなことをできてるだけで幸せやからな」
引用元:https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2021/08/13/kiji/20210813s00041000411000c.html
さりげなく言われて、飯尾さんは『さんまさんでも腹を括って仕事をしているんだ』と感動したそうです。
また、さんまさんは飯尾さんのことを評価していて、
「スベった芸人に対する飯尾のフォローで『生きてる証』ってフレーズがある。あれは芸人サイドにとってはすごい優しい言葉。俺はすごい好き」
引用元:https://qjweb.jp/regular/18073/
と絶賛しています。
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飯尾和樹 タモリから掛けられた言葉『時代を追うな』
飯尾さんは、30代前半で『笑っていいとも!』のレギュラーになっています。
これは飯尾さん的には当然大抜擢で、『ちょっと早いんじゃないか』と思っていたそう。
そう思いながら出演している中、同じ事務所の岩井ジョニ男さんからタモリさんの家に遊びに行こうと誘われます。
タモリさんの自宅で岩井ジョニ男さんが『仕事を増やして上に行くにはどうすれば?』と質問したところ、タモリさんは、
「時代は追いかけたら絶対に追いつかない。自分の好きなことをやっていればいいんだよ。もしかしたら、時代がポーンと合うかもしれない。それ待ちだ」
引用元:https://dogatch.jp/news/tbs/87392/detail/
「そのクセがつくと、また次に流行り出したものに鞍替えする。そうじゃなくて、面白いことを一つ、ずっとやってろ。運がよかったら時代がポーンと回ってくるかもしれない。この世界はフィーリングだから」
引用元:https://dogatch.jp/news/tbs/87392/detail/
と答えました。
そして、岩井ジョニ男さんと飯尾和樹さんに対して、
「「安心しろ。お前らは出会った頃から変わらないから」
引用元:https://dogatch.jp/news/tbs/87392/detail/
と声を掛けてくれたというのです。
タモリさんほどの大御所にそんな言葉を掛けてもらえたら、これは勇気100倍ですね!
でもって、そんな感動的な話の後、タモリさんはスリランカの曲を流して踊っていたそうです。確かに、時代を追ってない行動ですね(笑)。
飯尾和樹 石橋貴明から掛けられた言葉『この世界、逆転あるから』
飯尾さんは石橋貴明さんとは番組で一緒になったり仕事終わりに飲みに行く間柄です。
ある時、石橋さんは『ねるとん紅鯨団』が放送開始された頃のことを話してくれたそうです。
当時、とんねるずは消えていくのではないか、と危機感を感じていた時期で、『ねるとん紅鯨団』でブレイクのきっかけをつかまなければならない、と必死になっていた、と。
そして言われた言葉が、『この世界、逆転あるから』。
この言葉を励みに、飯尾さんは頑張れている、というのです。
…これらのエピソードを見て思うのは、確かに大御所からのアドバイスは凄いと思うのですが、どんな言葉をどうキャッチできるかは受け取り手次第ということもあるということです。
飯尾さんは彼らの言葉の中から自身に必要な金言、名言を鋭いアンテナでキャッチし、それを行動基準に落とし込んでいったんだと思います。
そこも、見習いたいなと私は思いました。
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遂に遅咲きした飯尾和樹という生き方
飯尾さんは冷静に物事を見据えて、焦らず、しかし歩を止めずに生きていく強さを持った男だと私は思っています。
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同じ浅井企画で同期だったキャイ~ンがすぐ売れていった時は、同じステージで同じ客、持ち時間の中で圧倒的にウケていた彼らを見て、悔しがるのではなく『文句の言いようがない』と思ったそうです。
また、そのキャイ~ンと食事をした時、
向こうが暗い顔しているんで、「どうしたの?」って訊いたら、「いや、実は自分たちの番組が始まるんだけど、打ち合わせで、やりたいことをバーッと言ったんだけども、最終的にやりたいことの1割ぐらいしか入ってない」と。「でも僕たちはこの1割を一所懸命やって、それを15%、20%、25%と増やしていくしかない」って。壮大な悩みと解決法を聞いたときに、お客さん20、30人の前で「ペッコリ45度」がウケないっていう相談ができなくなっちゃって(笑)。
引用元:https://bunshun.jp/articles/-/12067?page=4
ということがあったそうです。
この時は、どれだけ売れてもそんな悩みを持つものなのか、と思い、自分が売れる前の『予防注射』を受けたと彼は捉えています。
[the_ad id=’580′]このような彼の持つ感覚が、嫉妬や劣等感に飲み込まれることなく売れない時代を駆け抜けられた理由だと思いました。
実際、食えない時期に、後輩芸人が立ち上げた清掃会社にアルバイトとして働くということもしていて、余計なプライドは持っていない人だな、と。
さらには、売れていった過程として、
20、30代前半のときに一緒に過酷なロケをやっていたADの子たちが偉くなってディレクター、プロデューサーになって、ブッキングしてくれたというのもありますね。「飯尾さん、やっと、一緒にできます!」って。だから人に甘えてる。自力なんか、一つもないですよね。
引用元:https://bunshun.jp/articles/-/12068?page=4
というストーリーを持っているところも痛快です。謙虚さ、人徳。そういったものを持ち合わせているのが飯尾さんだと思うんですよ。
今、かなり勢いに乗っている飯尾さんですが、一発屋にならず息の長い活躍をすることは間違いのないところだと思います。素晴らしい!