メンタリストのDaiGoさんによる失言・炎上騒動。
この炎上で初めて彼を知った人も多いと思いますが、今のところ、世間のメンタリストDaiGo評は『人でなし』『サイコパス』といったものが大半です。
では、実際のところ、このメンタリストDaiGoさんという人物は本当に酷い人物なのか?サイコパス気質を持った人間なのか?について考えてみたいと思います。
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メンタリストDaiGoは素直な性格が故に醜くも見えるのか?
ことの発端は、ホームレスの人よりも猫の命の方が大事だ、といった主旨の話をYouTubeでしたことになります。
そこから謝罪動画を公開したら、またこれも炎上。
https://www.youtube.com/watch?v=Eai84ynVtko
計算高い、頭のいい人物だからこの謝罪コメントも本心ではなく騒動を収めるための戦略なんだろう、と疑われてしまっているという。
以下のような動画を見て思うのは、
https://www.youtube.com/watch?v=pRtEtA8m4Q4
メンタリストDaiGoさんは勝ち負けや他人との間に生まれる格差に敏感な人なのかなということです。
自身を誹謗中傷してきた匿名のネットユーザーに名誉毀損の裁判を起こしている模様ですが、上記の動画でも『娯楽のために訴訟している』と発言しており、好戦的な性格であることが見受けられます。
性格が悪い、サイコパスだ、と評すとしたら、こういうところがそこにあたるかもしれません。
人生というのは自分にしか決められない。自分で選んで決めて、それを自分で一生守れるかどうか。そこには”正義”も”正しさ”も一切ないのです。
引用元:https://ytranking.net/blog/archives/28191
僕はそこらの個人とは違うから、覚悟しとけよ。
引用元:https://ytranking.net/blog/archives/28191
たとえ、どんなダメな人間でも大事な人を守る権利はある。個人的な戦いです。目的は和解ではない、殲滅(せんめつ)です。
引用元:https://ytranking.net/blog/archives/28191
また、ホームレスのために税金を払いたくない、というようなコメントもしているのですが、これは性格が悪いというよりは、高額納税者だからこそ言える心情なのかもしれません。
[the_ad id=’580′]メンタリストDaiGoさんのある月の月収は9億円だったそうですが、数字にバラツキはあるとのこと。
ここ言っとかないとさ、数を数えられない週刊誌とかがさ、「DaiGoの年収、9.1億×12で、年収100億円のね、稼ぎがあること告白!」みたいにさ、明日ニュースとかで書かれて非常に迷惑なので。
引用元:https://ytranking.net/blog/archives/38806
このようなコメントを見ると、メンタリストDaiGoさんは自身は頭脳が明晰と自覚していて、そうでない人をやや見下しているようなマインドでいるように見えます。
なんというか、メンタリストDaiGoさんはきっと素直な人なんだと思います。普通の人でもたまに心の中で思ってしまうようなことを、ズバリYouTubeでブチ上げてしまう。その刺激的な様がウケたということもあるのではないでしょうか。
人間、究極的に言えば動物ですから、自分にとって都合のいいことだけをやりたいと思うものです。守りたいことに対して犠牲を払うのも、自らが望んだ場合のみ、です。
そこをどう、文明社会の中の共存意識とバランスを取っていくか、が難しいところではあると思います。
今の日本における道徳とメンタリストDaiGoさんの価値観がズレていたとしても、法に触れていない限りは自由にその考えを発信できるし、仮に今回のように謝罪に追い込まれたりスポンサーから契約打ち切りされたとしても、それはメンタリストDaiGoさんの偽らざる人間性から生まれた結果なわけです。
なのでそこに同情の余地はありませんが、では、メンタリストDaiGoさんは本当に人でなしなのか否か。
DaiGoは成功したが故にホームレスの命を軽視するようになったのか?
思うに、もの凄い量の勉強をしてビジネスで成果を出し、若くして富裕層の立場になった人の持つ感覚は、一般人のそれとは大きく異なります。
もしかすると、その生い立ちが今回の炎上の下地を作ってしまっただけで、本来のメンタリストDaiGoさんはそこまで邪悪な人間ではないのかな、とも思います。
そう思わせてくれたのが、元大阪市長の橋下徹さんです。
橋下徹さんは、今回の炎上について以下のような意見を出しています。
橋下氏はさらに、DaiGoと同年代で高額な収入を得ている人の多くは、自分の税金がどのように使われているのか、自分のためになっているのかを疑問に思っているのではないかと指摘。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/d38db16ee5182d5b4df30d4476fc32ee06bc806e
誰かに勝つとか、大儲けするとか、そういう勉強はたくさんした反面、社会のありようや人として優しく生きるといった対極にある考え方を育てることは逆に疎かになってしまったということもあるんじゃないかなと思いました。
だから、税金がどう使われているかも『自分の都合』と噛み合っているかどうか、という基準だけで見つめてしまい、そこから『ホームレスより猫』発言が生まれたのではないかと。
勝っている最中の人に間違いを教えられる人も少ないでしょうし、DaiGoさんの場合は『信者』とも言われるファン、顧客を集めてセルフブランディングで収益を出していることも間違いを生む要素になってしまったのではと思います。
人は、意見をバンと言える人に惹かれていきますし、いいもの悪いものをハッキリ言える人間を信用してしまう傾向があります。
人の悪口ばっかり言ってるから決して人格者ではないだろうけど、話を聞いているとなんだか心地いい。どこかイイ場所に連れていってくれそうな気がする。
メンタリストDaiGoさんも大衆のそんな反応を理解しているでしょうから、世間の目を引く刺激的かつ攻撃的な発言を繰り返して支持を獲得していくうちに、次第にそれが人間性も変えていってしまったのではないかと。
起業の世界は、戦いです。勝つか負けるか。だから、いろんなことに勝たなきゃいけない。という気持ちが、常に強い自分を演出し、弱いところを見せないブランディングを増強していったのではと思う次第です。
おそらく、今の時点でもなお、
『世の中馬鹿ばっかりでほんと困るよな』
『今に見てろ、もっと高みに登ってお前らに復讐してやるからな』
という気持ちを捨てずそれを原動力にして、歯を食いしばることでこの屈辱の日々を耐え抜いている、という可能性も感じます。
そして、やっぱりそういう考えは改めないといけないのではないか、という感情が少し入り混じって悩んでいる最中だったら、と考えてみると、どうか。
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メンタリストDaiGoを社会から放逐した方がいいのか悪いのか
現在、世論としてはこのメンタリストDaiGoという人に可能な限りのペナルティを課していくべきだ、という意見が多い事と思います。
例えば、YouTubeで発信したりするセルフブランディングの商売をやめさせよう、とか、もう性根は直らないからチャンスは与えずに潰してしまえ、とか。
また、社会に悪影響を及ぼす人間は表で活動させたくない、とか。
ただ、儲かって調子に乗っている奴が気に入らない、ということで叩いている人もいると思いますので、批判の全てが正しいものであるかどうかも、考えなければならないとは思います。
筆者の気持ちとしては、まずドライに考えたとしたら、メンタリストDaiGoさんレベルじゃない悪人は世の中にたくさんいますし、この人だけをここまで世間を挙げて叩きまくるのは非合理的だなという思いがあります。
また、この炎上を経てそれでもメンタリストDaiGoさんがセルブランディングで稼ぎ続けられるとしたら、そこにはニーズがあるわけで、その是非はまた別の問題です。
古市憲寿さんのコメントでもありましたが、
みんながどこかで人権の線引きをしていると思う。ここまでは大事で、ここから先は大事ではないとか、人間は大事で猫はいいのかという議論も今、議論すべき価値がある話。我々、肉とかも食べているわけだし、どこまでユニバーサルに権利を認めるのかという、どこかで線引きは必要。その線引きをどこに置くのかと、これを機に、考えるべき。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/389e61c19fb2fe7865e86db468cd3b20edf21bb3
今回の炎上って、こういうところにまで話が及んでしまう、実は結構大きな問題だと思うんです。
だから表面的な発言で直感的に批判やペナルティを下すのではなく、一体メンタリストDaiGoとは何者なのか、ということをまず確認してみるところからじゃないかなと。
[the_ad id=’580′]そして甘いことを言いますが、最悪なことをやらかしたからこそ最高の人間になれるかもしれない、ということもたまにはあるかもしれません。
叩くだけだと、社会は成長しません。今後のメンタリストDaiGoさんの行動を少々見守るという気持ちを持つ人がいてもいいんじゃないかな、と。
それから、メンタリストDaiGoさんの反省のやり方やこれからの行動も、まだ諸々気づけていないが故にその内容が間違ったものになってしまうことも出てくると思います。
だったら、その間違いを指摘して直してもらって、という作業も含めて反省の行動とすればいいのではないでしょうか。
反省してやり直したいという気持ちがあるのであれば、そこをまず見てあげてほしいです。
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性善説というんでしょうか、私は彼がそこまで悪人には見えませんけどね。生い立ちに試練と努力が濃厚に含まれていた分、本来の優しい人格が奥に奥に引っ込んでしまってはいないか、と。
でもって、こういう風に叩かれまくる人がたまに出てくるのも、社会にとっては決してマイナスではないという、これまた難しい世界もありますね。今回のことで人権について多くの人が考えたでしょうから。
この世の中、オールorナッシングというわけにはいかないのですね。