TBS『情熱大陸』に登場のラーメン職人、平岡寛視(ひらおかひろし)さん。
彼の経歴は異色で、元プロスノーボーダーです。
スノーボード選手としても素晴らしい活動実績がある平岡寛視さんの、アスリートとしての側面を調べてみましたよ。
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平岡寛視はスノーボードの凄い人だった
平岡寛視さんは大阪府出身で1981年生まれの40歳。札幌市にあるラーメン店、『Japanese Ramen Noodle Lab Q』のオーナーです。
次回の #情熱大陸 は
10月3日(日)よる11時〜放送ラーメン職人/平岡寛視
ラーメンの進化は北の大地から!?
北海道No.1の職人が追究する一杯#mbs #jounetsu #ラーメン職人 #平岡寛視#北海道 #ラーメン pic.twitter.com/KgY0XxyhAH— 情熱大陸 (@jounetsu) September 26, 2021
一方で、過去にはプロのスノーボード選手として、世界各国で活動していた経歴を持ちます。種目はバックカントリーとスロープスタイル。
この動画の最初にパフォーマンスしているのが平岡寛視さんです。
凄い!宙返りしてます。
当時ついていたスポンサーはスノーボードブランドのGray Snowboards、ブーツ専門ブランドのDeeluxe、アパレルのRPMoutwear、大阪にあるスノーボードプロショップclub.it’sなど。
[the_ad id=’580′]RPMのモデルとして雑誌に登場したり、技解説の取材を専門誌から受けるなど、本格的にプロ活動されていたようですね。
『一風堂』で働きながらプロスノーボーダーとして活動するという二足の草鞋を履いていた平岡寛視さんですが、27歳の時に大怪我をしてしまい、そこからラーメン屋としての成功を本格的に目指すことになります。
スノボといえば國母和宏さんを思い出しますが、彼も経済的に大成功してますよね。スノーボーダーは、起業家志向の人が多いのかなという印象です。
平岡寛視は社会貢献を体現する人格者だった
平岡寛視さん競技以外にも、スノーボードを通して社会貢献する活動をやっています。
2011年に行われたイベント『Snow Bank Pay It Forward 2011』では、ドナーが見つかりにくい骨髄バンクを世間に知ってもらうため、その広報活動に参加。
また、311の直後、被災地に防寒具(スノーウェア)を送る活動も独自に展開。自らの知名度、人脈を使ってスノーボーダー達に呼びかけるというアクションをしています。
当時勤務していた一風堂に各所から衣類が届き、一風堂のスタッフと一緒にサイズ分け、パッキングをしたんだとか。
そして震災から11日後の2011年3月22日に炊き出しに行く団体のトラックに乗せてもらい、被災地に平岡寛視さんが直接届けています。
当時、平岡寛視さんがブログで呼び掛けた内容を以下に引用します。これを読めば、平岡寛視さんの人となりを感じて頂けると思います。
被災地の方々に心からお見舞い申し上げます。先ほど仙台市内の友達とやり取りできまして。電気、ガス、水道が麻痺してるとゆうことです。東北地方ですから夜はかなり寒いと聞きました。連絡とれたつれから。あるとありがたいと聞きました。スノーボーダーにできる事ってなんやろうとおもいまして。防寒具(スノーウェア)かなと思いました。不要になったスノーウェア、アウトドアウェアがありましたら。被災地へ送りませんか?ない頭しぼって考えました。僕は、有名じゃないし、食べ物を大量におくれないし、手段もわかりません。もしかしたら、今じゃないかもしれません。でも、意味はあると思います.みなさまぜひ広めてください。一人一人が、すこしづつ行動をおこしていけば...意見は賛否両論でも備えれば無駄じゃないとおもってます。仙台の友達も防寒具が足りてないといってました。僕は関西出身なので、少しだけ学んでます。なので、動きます。
引用元:http://piroshiki-life.seesaa.net/article/190438935.html
こうやって即座に行動を起こすのも凄いことですが、思いつきで突き進むのではなく、自分にできることはないか、これは正しい行動なのか、という部分を冷静に考えることのできる思慮の深さを持った人だと感じました。
このような人格者だからこそ、『Japanese Ramen Noodle Lab Q』の成功も成し遂げたのではないでしょうか。
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『プロスノーボーダー × ラーメン店勤務』この成功事例に学ぶ!
私は平岡寛視さんのお店の評判と同時に、彼が選んできた生き方に興味があります。
プロスノーボーダーに限らず、日本でメジャーではないスポーツでプロのなるのは大変なことだと思います。野球やサッカーのように生活の保証ありきでチームに所属するというスタイルでない場合、賞金でその都度稼ぐとか指導者として生計を立てるとか、いろいろ考えないといけないでしょうから。
プロスノーボーダーの場合、会社員をやりながらするのは難しいでしょう。遠征もあるし、練習だって街中で簡単にできる類のものではないですよね。
平岡寛視さんの場合、一風堂に勤務しながらスノボの時間も確保し、二足の草鞋を履くというスタイルでした。
加えて、前述のようにスノーボーダーとしての自分と、一風堂に勤務する自分という2つのメリットを生かして社会貢献しています。
さらには、セカンドキャリアとしてラーメン店を自ら経営するという夢も叶えています。
無駄のない時間の使い方、稼ぎ方をしてきた人だと思います。
これからの時代、複数の活動、複数の収入源を持ちながら、時代に合わせて柔軟に生き方を整えていくという考え方がフィットしていくんだと思います。
平岡寛視さんの成功事例から学べるのは、1つのものに依存せず、堅実かつ無理なく夢を追えるような環境を作るべく可能性を拡げておくということ。
そうなると、何かの下積みをしている人だったら、食うために今やっている仕事も選び方次第で将来の大きな武器になっていくということですね。
フードジャーナリスト・はんつ遠藤の『おじさん構文』を翻訳してみた
なかなか厳しい世の中ではありますが、その中でも成功者は生まれています。
彼らのやってきたことをウォッチングするというのは、これからの人生をよりよくしたいと思っている人にとっては意味のある学習になると思いますね。