ゆめっぺこと箭内夢菜(やないゆめな)さん。 最近では『世界の果てまでイッテQ!』の出川ガールとしても人気を博していますね。
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箭内(やない)という変わった名前ですが、同じく箭内姓であるクリエイティブディレクター・箭内道彦さんと親子なのではないか、という噂も流れておりますが。
果たして、箭内夢菜さんは箭内道彦さんの娘なのか。どんな家の出身なのか。
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箭内夢菜の出身はどこ?父親は箭内道彦ではなかった
まず結論からですが、箭内道彦さんは箭内夢菜さんの父親ではありません。
これが箭内道彦さん。
うん、芸能ぽいビジュアルですが、似てない。ゆめっぺよりは古田新太さんに似てますね。
箭内道彦さんは1964年生まれの現在57歳。箭内夢菜さんは21歳なので親子ほどの歳の差はあります。そして2人とも福島県郡山市出身。
が、箭内夢菜さんは、お父さんが日大東北高校を卒業していることを過去に明かしており、一方で箭内道彦さんは福島県立安積高等学校を卒業していることから、別人であることがわかります。
ただ、有名人で親子ほど歳が離れていて変わった苗字が一致している、となると親子説も出てくるわけです。
ところが!
福島の人にしてみれば、この2人が同姓だったとしても親子説を疑うことはないそうです。
箭内姓の歴史を紐解くと結構面白い
全国に、箭内さんは約4,500人。そのうち、全体の4割を超える約1,900人が福島県在住、福島出身です。そして次に多いのは東京都の約1,000人。この1,000人も、福島出身で上京してきた人が多いから、という事情が推測されます。
つまり、箭内は福島に多い名字ということですね。
福島に根付いたこの箭内姓ですが、歴史をさかのぼると、
野内(のうち)
という職業の、読み方と漢字を変えたものが箭内(やない)になったという説があります。
野内とは、「小野氏の内舎人」を意味します。小野氏は福島で栄えた氏族の1つで、小野左右衛門が建てた小野城(福島県田村郡小野町小野新町字小白井他)は現在土塁や堀切が城址として残っています。
ちなみに、小野町は小野小町の生誕地なんですよ!
内舎人(うどねり)とは宮中における役職で、7〜8世紀頃の日本において、天皇の身辺警護にあたった人を差します。任命される武家によって、源氏だったら『源内』、藤原氏だったら『藤内』と呼ばれていました。
つまり、小野氏だから『野内』なんですね。
この野内(のうち)からヤナイという読み方にズレていって、さらに箭内になった、と。
箭内夢菜さんの苗字にこんな歴史があることは殆ど全く知られていないと思いますので、この記事で1つ、興味深い豆知識を得て頂けたとしたら嬉しく思います。^^
なので、箭内夢菜さんも過去には同じ町内とか、同じ学校に血縁、親戚ではない箭内さんが何人もいた可能性があり、だから、東京に箭内道彦さんがいたとしてもそんなに騒ぐようなことではない、と考えているかもしれませんね。
なお、福島県田村市には旧箭内家住宅という古い建物が温存されていて、資料館などになっています。
たくさんいる箭内さんの中でも、家屋が残っている、ということですね。
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箭内夢菜の名前をみんなで広げていこう
箭内夢菜さんは今からブレイク必至のタレントさんですが、なんというか、今だに名前が浸透していないのは読み方が難しいからでしょうね。
箭内夢菜 やないゆめな YANAI YUMENA
うーん、『箭』がすぐに手書きできない感じ。でもって、箭内がまずヤナイと読めないし、夢菜もユメナと読むのにちょっと躊躇しちゃいますからね。今時のオシャレなお名前ということですが。
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うん、『夢菜』感のあるかわいい顔立ちなのは異論ナシです。
これは、布袋寅泰さんが超メジャーになるまでは『ぬのぶくろとらやす』って思われていたのと同じです。もはや世界のHOTEIなのでOKなんですけど、最初はヌノブクロからスタートしてますから。
箭内夢菜さんの場合、そこを考えて
ゆめっぺ
というニックネームを浸透させようとしています。イッテQ側が。
けれども、やっぱり箭内夢菜はヤナイユメナですから、この名前を早く全国区にしてあげたいですよね。
そうですね、『やないゆめな』を音読する人がたくさん増えればいいんですよ。だから、この名前をタイトルにした曲をリリースしてしまうとか。歌詞は『やないゆめな』尽しで(笑)。
これまた全然関係ないんですけど、昔の釈由美子さんを思い出しました。
当時、『釈お酌』なんていうわけのわからない歌を発売してましたね(笑)。
箭内夢菜さんは、夢っぺもイイですけど、世界のYANAIになって欲しいですね。
今日は、そんなところです。