オフコースのメンバーで死亡した人はいるの?解散理由や経歴を紹介!

オフコースといえば、小田和正さんを中心に5人のメンバーで活動してきたロックバンドです。ファンの方も多く、数々の大ヒットソングを出してきました。最近、オフコースのメンバーで死亡した方がいると、噂されています。事実なのか知りたいと思っている方がいるようです。また、解散理由は何だったのかと気になる方もいるようですね。そこで、この記事で、経歴も併せて、調べてまとめていきたいと思います。

オフコースで亡くなったメンバーがいるって本当?

オフコースとネットで検索すると、メンバー死亡というワードが出てくるようです。ファンの方からしたら、好きなバンドのメンバーが亡くなっているなんて、悲しいですよね。オフコースのメンバーの方で、亡くなった方がいるのは、本当なのでしょうか。そこで、事実なのか調べてみました。

メンバーで亡くなった方はいない

調査したところ、オフコースのメンバーは全員亡くなっていません。では、なぜ死亡説が出てしまったのでしょうか。亡くなったという噂が出たのは、様々な要因があるようです。まず、オフコースが解散後に、元メンバーの活動が急激に減ったのが理由です。テレビなどのメディアに出なくなってしまったことから、心配される声があがっていたといいます。消息が分からないということから、亡くなったのかと噂されるようになったようですね。また、小田和正さんのツアーで一緒に回っていたベース担当の方が、亡くなられています。その情報が広まった際に、オフコースのメンバーが亡くなったと、広まってしまったのかもしれません。

オフコースが解散した理由は何?

オフコースは、1989年2月26日の東京ドーム公演を最後に解散しています。ファンの方にとって悲しい報告となりました。ファンの方の中で、なぜ解散してしまったのか、分からないままの方がいるようです。そこで、解散理由について調べて、まとめてみました。

メンバー内での方向性の違いが原因?

1980年にリリースされた「さよなら」の曲で、大ブレイクしました。その頃に、小田和正さんが、オフコースをまとめる役割を果たしています。しかし、小田和正さんの考え方が合わないと感じたメンバーがいたようです。そのメンバーは、鈴木康博さんで、自分のいる場所ではないと思ってしまいました。そして、1982年に脱退してしまいます。一時活動休止しましたが、1984年に活動再開となりました。そして、シングルの売り上げも好調で、ツアーも開催されています。その頃、小田和正さんは、世界進出をしたいという夢を持っていたそうです。しかし、他のメンバーは世界進出をあまり望んでいなかったといいます。小田和正さんの考えについていけなくなったのでしょう。他のメンバーは、方向性が違ってきたと感じてしまったといいます。そのまま、オフコースは解散してしまうことになってしまいました。

オフコースの経歴をまとめ

オフコースは、1967年にデビューしてから、アーティストとしての活動期間が長いです。デビューしてから、知名度をあげていき、誰もが知っているアーティストにまでなりました。そんな人気のオフコースは、どのような活動をしてきたのか、経歴をまとめてみました。

1969年に結成そしてデビュー

オフコースは、横浜市にある聖光学院に通う、小田和正さんと鈴木康博さん、地主道夫さん、小林和行さんの4人で結成されました。1969年に行われた第3回ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテストで、上位の成績を受賞しました。そして、1970年に「群衆の中で」でデビューを果たしました。アコースティック・ギターで演奏している曲で、フォークソングを歌っていました。デビューしてからなかなかヒットする曲がなく、悩んでいた様子です。

1979年にメンバー追加

1979年にオフコースメンバーに、2人が追加され新体制として活動をされました。ギター担当の松尾一彦さん、ベースの清水仁さん、ドラムの大間ジローさんが、加わったのです。1976年の時点で、レコーディングに参加していたようですが、正式にオフコースとして加入したことを発表しています。5人での活動がスタートしました。同時期に出したシングル「さよなら」が記録的大ヒットとなったのです。オリコンシングルチャートで、2位を獲得するほどの人気ぶりです。

1989年に解散

大人気だったオフコースでしたが、1989年に解散しています。2月にアルバムを販売し、数日後には、日本武道館でライブがありました。「STILL a long way to go」のツアーを最後に、解散したそうです。その後は、メンバーそれぞれの道を歩み、活躍されていました。

オフコースのプロフィールを紹介

オフコースのメンバーについて、詳しく知らない方もいるでしょう。オフコースのメンバーは誰か名前が分かっても、どういう方なのかは分かりません。SNSでも「最終的に残ったメンバーって誰だっけ?」という声もありました。そこで、簡単にプロフィールにしてまとめてみました。

小田和正のプロフィール

  • 名前:小田和正(おだ かずまさ)
  • 生年月日:1947年9月28日
  • 年齢:78歳(2026年現在)
  • 担当:ボーカル・キーボード・ギター

現在、株式会社ファー・イースト・クラブの代表取締役として、活躍されています。小学校3年生の時に通っていた、進学塾に向かう途中で、鈴木康博さんと出会います。栄光学園中学の受験をしましたが、残念な結果で終わってしまいました。中学、高校では、野球部に所属していたといいます。野球部をしながら、高校の時に結成した初期のオフコースメンバーで学園祭にて演奏を披露しました。デビューしてから解散まで、ずっとオフコースの為に、人生を捧げてきた人物です。

清水仁のプロフィール

  • 名前:清水仁(しみず ひとし)
  • 生年月日:1950年11月25日
  • 年齢:75歳(2026年現在)
  • 担当:ベース・コーラス・ペダルシンセサイダー

清水仁さんは、中学時代にお姉さんの影響で、音楽に興味を持ち始めました。高校に進学してからは、廣田 龍人さんとロックバンドを組んでいます。ザ・バッド・ボーイズを結成し、街中でスカウトされ、デビューまでいったのです。しかし、1年という短い期間の間だけの活動で終わってしまいました。その後、オフコースのサポートに回るようになります。1976年10月に正式に加入が決定し、オフコースとして活動をしてきました。

大間ジローのプロフィール

  • 名前:大間仁世(おおま ひとせ)
  • 生年月日:1954年5月14日
  • 年齢:71歳(2026年現在)
  • 担当:ドラム

秋田県で産まれた大間ジローさんは、中学時代に吹奏楽部に入っていたといいます。ティンパニという楽器を担当していました。当時、ビートルズが大好きだった大間ジローさんは、ロックバンドに興味を持っていたそうです。高校に進学後、バンド活動を始めたといいます。松尾一彦さんとバンドを組み、「ザ・ジャネット」を結成しました。偶然にも、「ザ・ジャネット」のプロデュースをしていたのが、オフコースのレコーディングディレクターだったのです。その後、オフコースメンバーとして加入することとなります。

松尾一彦のプロフィール

  • 名前:松尾一彦(まつお かずひこ)
  • 生年月日:1954年8月7日
  • 年齢:71歳(2026年現在)
  • 担当:ギター、ハーモニカ、キーボード

秋田県で生まれ育ち、高校時代に大間ジローさんと出会い、「ザ・ジャネット」という名前で、ロックバンドを結成しました。高校卒業後に、ロックコンテストに出場しました。結果は2位という結果を残し、主催者のキャロルさんに声をかけられたそうです。キャロルさんの事務所から独立した方の会社、アーサー・プロダクションと契約を交わしました。そして、日本テレビで放送されていた「ザ・チャレンジ」に大間ジローさんと出場したのです。見事勝ち抜くことができ、デビューが決定しました。その後、大間ジローさんと共に、オフコースのメンバーとして加入したのです。

まとめ

今回は、オフコースのメンバーが死亡したのは本当なのかについて、調べていきました。オフコースのメンバーは、亡くなっていません。オフコースのツアー時に一緒に回っていた方が、亡くなっていたことで、勘違いして噂が回ってしまったのではないでしょうか。また、オフコースが解散してしまった理由については、メンバー内で活動に対する方向性の違いが原因だと思われます。オフコースが解散してしまったのは、悲しいですが、長い間活動してきたので、たくさんの方の思い出に残っていることでしょう。