吉本興業のタレントとして長年にわたり愛されてきた坂田利夫さん。2023年12月、82歳でこの世を去りました。坂田利夫さんはどのような人生を送られてきたのでしょうか。
今回は坂田利夫さんの死因や若い頃の芸風、活躍、結婚していたのかどうかなどについて振り返っていきたいと思います。
坂田利夫の死因は?
2023年、クリスマス会を行っていた坂田利夫さんはその途中で体調を崩して入院します。そして12月29日に大阪市内の病院で生涯を終えることとなりました。坂田利夫さんの死因については、老衰だったとされており、戦友とも呼べる間寛平さん夫妻に見守られながら息を引き取ったそうです。通夜、葬儀、告別式は近親者のみでとりおこなわれたとされていますよ。
坂田利夫の活躍を振り返る
ここからは坂田利夫さんの活躍、若い頃の芸風などを振り返ります。
花菱アチャコの推薦で吉本に入る
1941年、大阪市港区の地神ワイヤーロープ製造業の家に生まれた坂田利夫さん。本名は地神利夫さんであり、弟さんと妹さんがいらっしゃいましたよ。1955年に台風被害で家が壊れるということもあり、製鋼会社工場に住み込んでいた時期もありました。
高校卒業後は職を転々とし、大阪ガスの関連会社に勤めていたことも。1961年、20歳の年に当時の「吉本ヴァラエティ」のオーディションを受け、一時は不合格になったものの花菱アチャコさんの「あの子は何か持っている」という推挙があり、吉本新喜劇研究生になることとなりました。
お笑いコンビ「コメディNo.1」を結成
西川きよしさんから、漫才は儲かると勧められた坂田利夫さんは、前田五郎さんと組んでコンビ、コメディNo.1を結成しました。吉本新喜劇の座員同士のコンビだった二人は関西テレビの爆笑寄席という番組で体を張ったコントで評判になり、1970年に上方漫才大賞新人賞を受賞、1971年には第1回NHK上方漫才コンテスト最優秀話術賞を受賞しました。二度の栄冠を機に、坂田利夫さんはお笑いの道へ専念することを決めたそうですよ。
コメディNo.1としては、その後も1972年に第1回上方お笑い大賞金賞、1979年に上方漫才大賞の大賞を受賞しています。
アホの坂田としてブレイク
コメディNo.1の舞台中、相方から「お前はアホか」と振られた時に「そうやアホや」と返したところ大ウケ。坂田利夫さんはこれに手ごたえをつかみ、アホキャラクターを演じていくこととなりました。吉本からも坂田利夫さんが一番アホそうということで坂田利夫さんをアホキャラとしてプッシュ、コメディNo.1というコンビの身でありながら、放送メディアでは坂田利夫さんピンでの活動も多くなりましたよ。
1972年にキダ・タローさん作曲の「アホの坂田」という楽曲がリリースされ、以降坂田利夫さんの代名詞的な楽曲となりました。
アホキャラの弊害に悩まされることも
アホの坂田として有名になり、愛された坂田利夫さんですが、街中で唐突にアホ呼ばわりされたり、アホキャラの弊害に悩まされることもあったそうです。同じくアホ役を演じていた藤山寛美さんから、「アホを演じるなら胸を張ってやれ」「アホは優しく生きていなさい」といったアドバイスをもらい、坂田利夫さんはこの言葉を胸に留めてアホ役を演じるようになったそうです。
それでも、坂田姓の子供がいじめに遭っているという苦言が届いたり、坂田利夫さん自身もいわれのないバッシングを受けるなど、逆境に陥ることもあったのですね。
坂田防衛庁長官にあやかった芸を行う
コメディNo.1として盛んに活動していた時代には、1974年から1976年にかけて坂田道太さんが防衛庁長官を務めたことにあやかった芸を行っていました。相方の前田五郎さんが「坂田防衛庁長官!」と号令をかけ、坂田利夫さんが防衛庁長官らしい厳かな雰囲気を醸し出すというシュールなくだりであり、普段のアホキャラが浸透していたことからのギャップも相まってウケたくだりだったのですね。
鈴木宗男のそっくりさんとして人気を博す
2000年ごろには、衆議院議員の鈴木宗男さんと坂田利夫さんの容姿が似ていると言われるようになり、坂田利夫さんは鈴木宗男さんのそっくりさんとして人気を博すことになります。鈴木宗男さんはあっせん収賄、政治資金規正法違反等で逮捕されることとなり、坂田利夫さんはその間に鈴木宗男さんのそっくりさんとしてメディア露出が増え、タレントとしての人気も再び上がることとなったのですね。
2022年7月の舞台出演が最後の出演に
2015年に映画「0.5ミリ」に出演しておおさかシネマフェスティバルの助演男優賞を受賞した坂田利夫さん。2015年4月に自宅で転倒し、一時期入院するなど、徐々に表舞台での活動を減らしていきます。2022年4月にはなんばグランド花月で行われた吉本興業創業110周年特別講演「伝説の一日」に出演、同年7月30日にYES THEATERで行われた「さざなみ寄席」への出演が最後の舞台出演になりました。最晩年は高齢者施設に入居していたそうですよ。
坂田利夫は結婚していた?
お笑い芸人として確固たる地位を築いていた坂田利夫さんですが、生涯結婚はしなかったといいます。女性を紹介されても、照れてしまってうまく進展しなかったそうなのです。長く独身であったナインティナインの岡村隆史さんとは、女性との交流が苦手という共通点もあって、坂田利夫さんは岡村さんのことをとても可愛がっていたそう。岡村さんは坂田利夫さんについて、「師匠は女性とキスすらしたことない」と語ったことがありますよ。
「自分の子供」に対する懸念
また、坂田利夫さんは自分の母が「アホ産んだ人や」といった風に言われることに、家族にも迷惑をかけているのかと苦しんだことがあったそうです。その件については、お母さんから「親やから仕方がない」と言ってもらったそうですが、一方で自分に子供が出来た時に「アホの子や」と言われるようなことがあってはしのびないと考え、それもまた坂田利夫さんが結婚しなかった理由となったそうですよ。
出展:oricon
最後に
今回は坂田利夫さんの死因、若い頃の芸風や活躍、結婚の是非について紹介しました。アホキャラとして一世を風靡した坂田利夫さんですが、一方で思慮深い一面や優しい一面もあり、舞台裏でも自身がアホキャラを演じることに真摯に向き合ってきた方だったのですね。結婚しないという選択を取った所に、坂田利夫さんのそういった側面、人柄が表れているように思えます。





