沖縄・国頭村で行われている日本ハムファイターズの秋季キャンプで、ビッグボスこと新庄剛志新監督がトンボがけをしている姿が報じられて話題になりましたよね。
そしてこれをやる理由が、阪神タイガース時代に一緒だった島野育夫コーチ(故人)がやっていたことだったから、ということも新庄監督から明かされています。
この島野育夫コーチとは一体どんな人なのか。そして未来にBIGBOSSに進化する新庄剛志とはどんな関係だったのか。
今回は、この島野育夫コーチについてです。
[the_ad id=”243″]
島野育夫&新庄剛志のエピソード
島野育夫さんは、現役時代は中日〜南海〜阪神で外野手として活躍していました。
引退後は阪神と中日でコーチをしています。
このコーチ時代は阪神&中日で星野仙一さんに仕え、優勝に貢献しています。
投手の球種を見抜く眼が凄かったそうで、評論家になってからも記者達の前で試合中の投手の投げる球を次々に言い当てて『島野マジック』と呼ばれていたんだとか。
星野監督からの信頼も絶大で、
オレは投手の専門家だが、野手のことは素人。攻撃面のことはすべて島野ヘッドコーチに任せている
引用元:https://www.zakzak.co.jp/spo/news/200218/bas2002180004-n1.html
と、バッティング方面に関しては島野育夫コーチに丸投げするほどです。
新庄さん曰く、島野育夫コーチは『怒るとめちゃくちゃ怖い』そうで、当時、新庄さんを始めとする若手選手達にとって話しかけるのも恐ろしい存在だった、と。
しかしそんな恐ろしいイメージが、ある時から変わります。
新庄さんが早い時間に球場に着くと、島野育夫コーチが球場に一番乗りし、甲子園のグラウンドをくまなくチェックして選手がやりにくい要素はないかと見回っていたのです。土の減っているところがあれば直し、余計な物が落ちていたら拾う。
本来それは専門のスタッフがついていて、彼らがやる仕事だったのに、島野育夫コーチは自分でできることはやっておこう、という気持ちでいたのではないかと新庄さんは述懐しています。
しかも、それをなるべく人に気づかれないようにやっていたことが新庄監督を感動させたといいます。
[the_ad id=’580′]ちなみに、なぜこの島野コーチの隠れたサポートを新庄監督が知ったかというと、彼も球場に早く入って筋トレをしていたんです。誰よりも早く球場に着き、誰よりも練習する。そんなことを当時の新庄監督はやっていました。
すると島野育夫コーチも、『見てたぞ。お前も早くから、やってるな!』という感じで認めてくれて、そこから仲が良くなっていったんだとか。
当時、島野育夫コーチは努力をしない選手が不平不満を言うと烈火の如く怒ったそうなんですけど、新庄さんが何を言っても怒られることはなかったそうです。
新庄は遠慮なく言いたいことを言うタイプだけど、努力を認めている選手だから。と。
さらには、島野育夫コーチは新庄監督のプライベートの悩みにも力を貸してくれたことがあるそうです。
人気選手になるにつれて反社会的な人達が新庄監督に近づくようになり、このままでは何かよくないことが起きるのでは…と恐くなったところに、信頼を寄せている島野育夫コーチに新庄監督は相談したのです。
すると島野育夫コーチはそのトラブルを個人的に動いて解消してくれたそうです。
なので、新庄監督は今でも島野育夫コーチに感謝の気持ちを想い続けていて、だから今回のトンボがけも島野育夫コーチの受け売りであることを紹介しているというわけです。
新庄監督が島野育夫コーチから学んだことは『努力は人に見せない』ということだそうです。
なので、今ビッグボスがブレイクしてますが、見えないところで新庄監督も相当な努力をしている最中だと思って間違いないでしょう。
[the_ad id=”243″]
新庄のバリー・ボンズ支援は島野育夫コーチの魂を受け継いでいる!
新庄剛志監督は、なんとあのバリー・ボンズの73本塁打という偉業をサポートした実績を持っています。
メジャーリーグのジャイアンツ時代、新庄監督はセンターを守っていました。そしてレフトにバリー・ボンズです。
新庄監督は、ジャイアンツに入団する時の記者会見で『俺はジャイアンツをワールドシリーズに行かせる』と宣言していました。
そこで新庄監督がまず考えたのが、『1番のポイントはバリーだ』ということ。
バリーにたくさん本塁打を打たせれば勝てる。勝てれば、ワールドシリーズに行ける、と。
そこでバリーにバッティングに集中させるためには、守備で楽をさせよう、と考えたのです。
『左中間の打球は全部俺が捕るから、お前は右のファールゾーンだけを捕る意識でいろ』
とバリー・ボンズに申し出た新庄監督は、バリー・ボンズの左3mのとことに落下するボールまで捕球していたそうです!
結果、前年の2000年は49本だったバリー・ボンズが、2001年は73本まで伸びました。見事、ホームラン王に輝いたのです。
バリー・ボンズは記者会見で、『このHR王を獲れたのは、俺のお陰じゃない。俺の隣で守ってる爪楊枝(=新庄監督)のお陰だ』と語っています。
[the_ad id=’580′]この出来事から、新庄監督は『守備が大事なのは、そういうところ。チームを救えるんだ』という結論に達したのです。
この考え方はまさしく、島野育夫コーチの魂を受け継いだものではないかと思います。自分の仕事じゃないから、とスルーするのではなく、自分にできることでチームが救われるなら何でもやる、と。
新庄監督の素晴らしいところは、この島野育夫コーチのエピソードにもあるように、先輩達から素直に学ぶということができることだと私は思っています。
新庄監督 本当に大丈夫?指導力や球界の評価、人望、優勝の可能性は?
ただ言いたいことを言ってやりたいことをやり、わがままを通すということではないんですね。
あの奇抜なパフォーマンスの裏では、新庄監督の優しくも熱い想いが燃えまくっていると思うわけです。