お笑いトリオ・安田大サーカスのボケ担当として知られている、HIROさん。100キロ越えの巨漢というインパクトを活かし、団長、クロちゃんとともにエンタの神様などで活躍しましたね。HIROさんはこれまでダイエットとリバウンドを繰り返しており、その体型の変化が常に注目されています。そんなHIROさんが刺青を入れたと話題になっているようです。
今回は、安田大サーカスのHIROさんの刺青について、調査しました。
安田大サーカスのHIROが刺青を入れた?
安田大サーカスのHIROさんが刺青を入れたと話題になっていますが、本当でしょうか。自身のインスタグラムで、上半身にがっつり刺青が入った姿を披露しており、ファンを驚かせています。しかしコメントで「嘘です」ともつづり、ペイントだということを明かしています。HIROさんは、Netflixオリジナル映画の「アウトサイダー(The Outsider)」に極道役で出演したため、ペイントで落ちる刺青をいれたということでした。本物と見分けがつかないくらい、精巧に描かれていますね。安田大サーカスのHIROさんが刺青を入れたのかと思い、驚く人が続出していました。
HIROは現在何してる?
HIROさんは現在、地元の和歌山でローカルタレントとして活動しています。病気をきっかけに帰郷することを選び、充実した生活を送っているようですね。東京は誘惑が多く飲食店も多いので、ダイエットに不向きだったとか。和歌山ではほとんど誘われることはなく、自然と食事の量も減っていったそうです。移住のきっかけとなった脳出血を患った際、「生存率20%」とも言われたHIROさん。大病をして人生観が変わり、和歌山に住んで幸せを掴んだと言います。自然が豊かで周囲の人も温かく、東京のごちゃごちゃしてる感じもないので、のんびりした幸せを掴んだそうです。
当初は東京と和歌山の2拠点生活を考えたのですが、東京のお仕事はそこまで多くなく、仕事のたびに軽自動車で和歌山から東京まで下道15時間で通っているそうです。途中で各地のお土産屋さんを巡りながら行くので、長旅も苦ではないそうですよ。
安田大サーカスとしても活動継続
安田大サーカスとして3人の仕事もあるので、月3、4回東京に行くこともあります。もともと、いつか和歌山に帰りたいと思っていたので、病気がタイミングだったとか。帰郷して2年後には母親が亡くなり父親と兄との同居生活に。兄はトラックの運転手で家に帰ってこないことが多く、高齢の父親をHIROさんが面倒見る生活だそうです。仕事以外でも、野菜を作ったり…のんびり自分のペースで活動していると言います。
団長の安田さんからは、「HIROはマグロの解体なんかもやっています」と明かされています。元漁師という経歴を活かし、マグロをさばいたり、今後レモンも作ろうと農作業への意気込みを語っていました。
HIROが痩せた理由も紹介
HIROさんが痩せた理由は、病気がきっかけでした。2017年に左脳室内出血を発症し、一時は医師から生存確率20%と言われるほど深刻な状況だったそうです。治療とリハビリを経て無事に退院し、健康にも気を使うようになって痩せたそうですよ。HIROさんは朝起きたら突然、鈍器で殴られたような頭痛におそわれ、トイレに駆け込み、吐き気もあったので、マネージャーに連絡してタクシーで病院に向かいました。病院で「うちでは無理だから大きな病院で診てもらうように」と言われ、すぐに救急病院に運ばれ、意識はもうろうとしていたそうです。緊急でカテーテル手術をし、一命をとりとめました。目が覚めてからも意識がはっきりせず、手を縛られ無意識にベッドで暴れていたとか。マネージャーや会社関係者、母親らが病院に付き添っていたそうです。団長も心配で号泣していたそうですよ。クロちゃんや島崎和歌子さん、浅野忠信さんもお見舞いに来てくれました。
何キロ瘦せた?
体重はピーク時には198キロあり、トイレの便座や風呂釜を壊すほど。番組の企画などでダイエットには何度か挑戦したものの、痩せてはリバウンドの繰り返しだったそうです。病院に運ばれたときはまだ140キロくらいありったのですが、92キロまで減量したそうですよ。命に別状はなく、麻痺などの後遺症もなかったということで、本当によかったですね。
結果的に現在120キロまでリバウンドしたものの、カロリー制限などはしなくていいほどの健康体になったそうです。
HIROは昔から太っていた?
HIROさんは幼いころから太っており、好き嫌いもなく出されたものは残さずに食べる少年だったそうです。両親が共働きで一人で食事をすることが多く、食事も際限なく食べていたことが肥満の原因だったとか。5歳ですでに50kg、小学1年生で早くも60kgに到達していたそうです。なんと小学6年生で120㎏を超えてしまい、和歌山市立西脇中学校時代には150kgに。中学校卒業時には190kgを超え、この体格を生かして大相撲の世界に入ることとなりました。
中村部屋へ入門し、15歳で初土俵を踏みます。四股名を廣瀬富士と改め、序ノ口時代は後の幕内・琴春日を破るなど、新弟子時代の成績は好調だったそうです。しかし、厳しい稽古で体調を崩し、裸でいると下痢しやすい体質もあって引退。その後は漁師やトラック運転手など、職を転々としていました。
荒れた食生活で肥満に
社会人となってからも大食漢は変わらず、スターバックスの抹茶フラペチーノのグランデを1日8本飲む毎日。とはいえ、お店の人にいっぱい飲むと思われたくないので、1店舗につき1本という制約ではしごしていたそうですよ。すき家や吉野家も常連でしたが、ここでも大食いと思われたくないので、1か所で並を2つ頼んで店をはしごしていたとか。東京にいるときは食べ放題のお店もよく行っていたそうで、「スタミナ太郎」の常連だったそうです。
このような生活を続けていたらいつか糖尿病など命の危険もあったと思うので、病気をきっかけに改善されてよかったですね。
まとめ
今回は、安田大サーカスのHIROさんの刺青について、紹介しました。安田大サーカスのHIROさんの刺青は役作りのペイントだったようで、本当に入れたわけではなかったようです。HIROさんは病気をきっかけに地元の和歌山県に帰っており、ローカルタレントとして新しい道を歩んでいました。今後の活動も、応援していきたいと思います!





