勝新太郎の死因は?過去の経歴や妻や息子についても徹底調査!

勝新太郎の死因は?過去の経歴や妻や息子についても徹底調査! 芸能人

この記事では、俳優・勝新太郎さんの死因について調査します。勝新太郎さんは俳優や歌手、映画監督や脚本家としても活躍した人物で、不祥事を起こしながらも多くの国民から愛されていました。そんな勝新太郎さんの死因は何だったのでしょうか?また、家族構成や愛妻家エピソード、そして家族の死についても見ていきたいと思います。

勝新太郎の死因は?

勝新太郎さんの死因は、下咽頭癌(かいんとうがん)でした。下咽頭癌の主な原因は、大量の飲酒と喫煙だと言われています。

【参考サイト:亀田総合病院がん情報サイト

勝新太郎さんはヘビースモーカーだったことで知られ、ドクターストップがかかっていてもなお、会見で喫煙をするほど豪放磊落な人物でした。

勝新太郎さんはのどの痛みを訴え下咽頭癌と診断されると、手術はせずに抗がん剤治療と放射線治療を始めます。つらい治療だったと思いますが、勝新太郎さんは次のようにあっけらかんと思いを語っていたそうですよ。

「がんと告知された時も、俺はびくともしなかった。俺は絶壁にいるのが好きなんだ」

【参考サイト:アサ芸プラス

勝新太郎の経歴は?

勝新太郎さんは23歳のときに俳優デビューしました。なかなか芽が出ず、映画館の館主たちから「勝新太郎主演の映画は売れないからやめてくれ」と苦情が相次ぐほどだったそうです。1960年公開の映画『不知火検校』での演技が評価され、俳優として認められるようになると、同作で共演した中村玉緒さんと婚約します。

映画監督デビューも

勝新太郎さんは「勝プロダクション」を設立すると、自ら映画を製作するようになります。かつて主演を務めた『不知火検校』は殺人や強姦などグロテスクでセンシティブな内容の映画でしたが、勝新太郎さん自身が作る映画は時代劇の伝統にこだわったものだったそうですよ。

あの松平健さんは勝新太郎さんの弟子で『座頭市物語』『暴れん坊将軍』などに主演させてもらい、時代劇スターに育て上げられたそうです。

家庭ではトラブルが絶えず

勝新太郎さんは、映画で共演した中村玉緒さんと結婚し2人の子どもに恵まれます。大物俳優2人から生まれたサラブレッドということで、子どもたちも芸能界デビューが濃厚とされていましたが、デビュー前に2人揃って大麻の密売容疑で逮捕されてしまいます。

その後、息子の奥村雄大さんは勝新太郎さんが監督を務めた映画『座頭市』でデビューしますが、殺陣のシーンで斬られ役の俳優を誤って死なせてしまうという事件が起こりました。

結局、勝新太郎さんが製作した映画は本作が最後となってしまいました。

自身も麻薬で逮捕歴が

勝新太郎さんは1990年、ハワイで下着に薬物を入れていたとして現行犯逮捕されます。どうして下着に薬物が入っていたのか分からないととぼけていた勝新太郎さん。なんと「今後は同様の事件を起こさないよう、もうパンツをはかないようにする」と驚きの弁明もしました。

この事件で裁判にかけられた勝新太郎さんですが、法廷の傍聴者を「観客」と呼び、楽しませるための台本を用意して出廷するという、どこまでもエンタメ精神の高い人物だったようです。

まとめ

俳優・勝新太郎さんの死因や経歴、そして家族についても調査しました。勝新太郎さんは自由奔放な異端児として知られ、多くの作品に出演したり、また製作したりしてきました。

妻・中村玉緒さんとは最後までおしどり夫婦でしたが、子どもたちは逮捕歴があるなど波乱万丈な人生だったことが分かります。現在も語り継がれる名優・勝新太郎さんの作品が気になったら、ぜひ見てみてくださいね。

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